何が何やらワケワカメ

映像作品(主に特撮やアニメ、ホラー)について書く。

「神と神」考察。 第4回 【鳥山明編】


f:id:hirohobby:20151016112023j:image
「神と神」考察。は今回で最後となります。

第4回は【原作者 鳥山明編】です。  



  • アニメーションに全面参加。

以前まではあくまでも「ドラゴンボール」に関わるのは漫画のみで、アニメーションとは距離を置いていた鳥山さん。その鳥山さんがキャラクターデザインに留まらず、原案、脚本に参加したことは今作品に多大な影響を与えました。その影響は、ビルスとウイスのキャラクター性や世界観での立ち位置に象徴されています。 また、「悟空が敗北する」というショッキングな結末で観客の意表を突くことは、鳥山さんにしか出来ません。

脚本家や(東映やフジテレビの)プロデューサーだけでは、世間のドラゴンボールのイメージをあまり崩すことは出来なかったように思えます。

「弱きを助け 強きを挫く」
「強い悟空、だから結果勝利する」
「激しい戦闘」

18年ぶりの劇場版であれば上記のことを意識して、従来に倣った保守的な作品になっていた可能性があります。

しかし、そうはならなかった。
内容としては

(DBZ+無印DB) ÷2 = 神と神


であると、私は感じました。戦闘シーンが予想以上に短かったことが、従来の「DBZ」とは違うなと。あの緩い雰囲気は無印時代(その象徴のピラフ一味)、神の領域までパワーインフレが加速する世界観はZ時代の雰囲気。これらを兼ね備えた「神と神」は新しいドラゴンボールを開拓した、とても心を打つ魅力があります。



「神と神」は、鳥山さん自身のドラゴンボール論が展開していたように思えます。


DBは長期に渡って週刊連載していた為に、物語が進むに連れ物語が変化していきました。代表的なのは、戦闘シーンに比重が置かれて殺伐とした空気になる、敵も凶悪になり戦いの規模が拡大していった、などがあると思います。

読者の為に迫力ある戦闘を供給する、戦闘の為に物語を組み立てる、そして新たな敵を配置する。この過程に飽きていたのではないかと思います。

鳥山さんがDBの連載を終わらせたいと主張しても集英社やその他関連企業が中々GOサインを出さなかった、との噂を耳にします。真偽の程は私は分かりませんが、人気作品であるが故のしがらみで連載中様々な苦しい思いをされたのは想像できます。


しかし連載も終わり身軽になった今だからこそ、「神と神」では本当に描きたいモノを描けていたと思います。


【DBの戦闘への否定】


今作品では「DBの戦闘」への否定が込められていたと思います。その理由は「スーパーサイヤ人ゴッド」と「プリン」にあります。


ドラゴンボールを連想させる要素にSS(スーパーサイヤ人)を思い浮かべる人は、非常に多いかと思われます。ハッタリのきいた見た目や圧倒的な強さが大きな魅力であり、とても印象的だと思います。物語が進むに連れSSは、SS3まで進化を遂げます。

しかし、SSG(スーパーサイヤ人ゴッド)は従来のSSとはまるで異なる容姿をしています。

f:id:hirohobby:20151016153538j:image
筋肉隆々な見た目から細身に、また通常の悟空の雰囲気に近いものに。

戦闘力を高め続けた悟空。しかし「神の気」という概念が現れたことによって戦闘力を上げる行為は今後意味がない、その事を示したのがSSGであると思います。その証拠にSS3がビルスに2発で倒されたという結果があります。

f:id:hirohobby:20151016155430j:image
最強のSS3の敗北によって、ドラゴンボールを象徴していたSSの存在感が揺るがされる事態になりました。今まで悟空が積み重ねてきた「強さ」の否定であると考えられます。



また今回の戦いは「プリン」を巡って勃発したものであり、キッカケが非常に幼稚である。

これは、戦いに特化していった過去のDBに対してのメッセージが込めらています。要は「戦うことが出来れば、理由は何だって良かった」と。今まで極悪人を懲らしめる為に悟空は戦っていたが、作者の本音としては「戦うキッカケなら何でも良いよ、だから今回はプリンにしたんだ」と。



終始、戦うことに物語が帰結していったDB。それに伴い、戦いが激化するごとに進化を遂げていった悟空。しかし「神と神」では明るく笑える要素が多く、従来の劇場版とは異なるテイストであった。これは、もう今までのDBは描かないという意思表示。その考えが「スーパーサイヤ人ゴッド」や「プリン」に表れていたと思いました。



【否定しきれない戦闘の魅力】


上記で、鳥山さんが「DBの戦闘」について否定をしている、と考察しました。

しかし、鳥山さん自身は戦闘ばかりでは嫌だと考えていても、戦いこそがDBの魅力であることも理解していると思います。

大活躍したSSという存在。しかし今作ではSSGとなり、もう今後からはSSは不要になったはず。しかし悟空は再びSSに変身する。

f:id:hirohobby:20151016165944j:image
これは鳥山さん自身認めざる負えない「DBの戦闘」の魅力、これが無ければDBという作品は成り立たないことを自覚している結果だと思います。

『………「たぶんダメだろうな」と予想していたら 本当にダメだった某国の実写映画と大違いです。さすが日本のアニメーションは優秀なんですね!…』                「劇場版ドラゴンボールZ 神と神」パンフレットでの鳥山明さんのコメント 
作者自ら、実写映画「DRAGONBALL EVOLUTION」に言及しています。実写版の不甲斐なさに、鳥山さんは黙ってはいられなかった。だからこそ、今回アニメーション製作に深く携わったのだと思います。


SSはとにかくカッコいい、格好良過ぎる!! 


DBの象徴になりファンに愛されている、鳥山さんはそのファンの想いを大切にしたのだと思います。

激化した「DBの戦闘」に否定的な面もありつつも、それでもDBの魅力は「戦闘」である。

だからこそ、その戦闘を彩った「スーパーサイヤ人」を一番の見せ場に再び登場させた。「ドラゴンボールはこれなんだ、実写版のスタッフ見てるか!」という鳥山さんの想いを私は感じました。


f:id:hirohobby:20151016180559j:image
「破壊を楽しんでるんじゃねえぞおおー」
鳥山さんは「カッコよくてヒロイックな悟空」を見せたく、敢えてこの台詞を用意したのかなと私は妄想しています。実写版でガッカリさせてしまったファンへ向けてのファンサービスとして。




  • まとめ

f:id:hirohobby:20151016184828j:image

今回は個人的な推測が多く、的外れな指摘をしているかもしれません。

「僕の役目は娯楽に徹すること」

「メッセージとか、感動とかは他の漫画家が描いてくれます」

「神と神」公開時に朝日新聞で掲載された鳥山明さんのコメントの一部
これが本当であれば今回書いたことはイタいオタクの妄想でしかありませんが、鳥山さんのメッセージが無自覚的に作品に表れていたと私は思っています。

震災以降だからこそ、明るい話にしたい。だから、建物は破壊しないようにする。と言った想いもあったと思いますが、それだけに留まらない多様なメッセージが散りばめられた素晴らしい映画であったと感じています。