何が何やらワケワカメ

映像作品(主に特撮やアニメ、ホラー)について書く。

【POV方式のパニックモンスター映画?】『シン・ゴジラ』特報。


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庵野秀明(総監督および脚本)と樋口真嗣(監督および特技監督)によって現在制作中の『シン・ゴジラ』の特報が公開された。

この映像では、具体的な説明は一切ない。しかし、一刻の猶予など許されない切迫した状況が克明に撮影されている。
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ゴジラの姿は確認できない。ゴジラがもたらしている被害の詳細も伝わらない。逃げ惑う人々の姿だけ。

私はふと、2008年に公開された『クローバーフィールド/HAKAISHAを連想した。

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■ストーリー
映像はビデオカメラの持ち主ロブのプライベート風景から始まる。ある夜、日本への栄転が決まったロブを祝うために開かれたパーティの最中、突如として不気味な爆音が鳴り響く。外の様子を見にパーティ会場の屋上へ向かった彼らは、そこで炎に包まれたニューヨーク市街を目撃する。外へ出ると爆発で吹き飛ばされた自由の女神の頭が降って来て市内はパニックに陥り、ロブを含む数人のメンバーは徒歩での脱出を試みる。
その途上、彼らは軍隊の攻撃を物ともせず、摩天楼を蹂躙する巨大な怪獣を目撃する。ロブの恋人を探して危険を潜り抜けていく一行の様子を、ビデオカメラは生々しく記録していく。(出典:Wikipediaクローバーフィールド/HAKAISHAの項目。)
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逃げ惑う人々が淡々と描かれている様子は、共通する。そして街に降りかかっている未知なる脅威の全容は明かされていない、これも同様。

私が何を言いたいのかというとシン・ゴジラは、"恐怖に脅える民衆に比重を置いた物語"になるのではないか、ということ。端的に言えば、ゴジラは主役じゃない。

クローバーフィールド/HAKAISHA』や2014年に公開されたギャレス・エドワーズ版『GODZILLA ゴジラ』では、中々怪獣が出てこない。焦らしに焦らして、満を持して登場する。それまでは人間達に降りかかる凄惨な被害の様子が丹念に描かれていた。それは同時に、危機に陥った人間達の心情に焦点を当てていたことになる。人間ドラマが主だ。

そして、POV(Point of View Shot:主観ショット)方式は登場人物の視点を観客に与えて、臨場感を生み出す。観客はスクリーンに描かれていることを疑似体験する。そのことから『シン・ゴジラ』ではゴジラの一挙手一投足を注視するというより、ゴジラがもたらす"社会的な影響"をちっぽけな人間の狭い視野から捉えるべき?……と思った。
「…ゴジラが襲撃する現代日本の政府関係者役を長谷川と竹野内、ヒロインとなる米国エージェント役を石原が演じることが発表された。…」(出典:新作ゴジラに長谷川博己、竹野内豊、石原さとみら豪華キャストが集結 タイトルは『シン・ゴジラ』に決定)
如何にもな"要人"を登場人物に設定していますが、ギャレゴジで芹沢猪四郎博士を演じた渡辺謙氏のように意外と出番が少ないのかも知れない。

あくまでもPOV方式は部分的に用いられている程度で、従来の手法による客観的な視点がメインで描かれているのだと思う。しかし、今更目新しくもないPOV方式を敢えて導入していることから、庵野氏や樋口氏の描きたいゴジラ"平凡で普遍的な日常に迫り来る災害の恐怖"であると思う。だからこそ現実味を帯びた映像を追求している。

また、ポスターには『ニッポン対ゴジラ』とあります。これは決して自衛隊ゴジラの武力による抗争だけではなく、日本人の"民意"といった精神的な面との対立を意味していると思います。漢字ではなくカタカナによる表記は、何か意図が込められているのでは。

今回の特報で、私はこのような印象を受けました。あくまでも個人的な妄想です(^_^;)大ハズレなら恥ずかしい…。