何が何やらワケワカメ

映像作品(主に特撮やアニメ、ホラー)について書く。

「神と神」考察。第3回【孫悟空編】


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第3回は【主人公 孫悟空編】です。


  • やっぱり格闘バカ
悟空はこれに尽きると思います。18年ぶりになる待望の劇場版、その冒頭から修業しています。セル編後~ブウ編序盤までの間も界王星で修業を重ねていたので、良くも悪くもやっていることは変わっていません。悟空らしい!!

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しかし、今回はいつもの道着ではなくジャージを着用していました。ここでのジャージ姿は、月日の経過による変化を感じることができます。


あと、強いヤツを目の前にすると興奮を抑えきれない本能も全開でした。ビルスに頭が上がらない北の界王は、悟空が何をやらかすかヒヤヒヤしっぱなし。板挟みになり気苦労が絶えない立場でした。

「オッス!! オラご(ゴツン!!)…」

ここでのツッコミは最高でした(^^)


悟空は「スーパーサイヤ人ゴッド」の力を不服だと感じていながら、神になった。それは、地球を守る為にプライドを捨てたべジータの行動に感化されたものでした。

「……べジータはオラなんかより、もっとずっとプライドを持ってる」

「……アイツが王子のプライドを捨ててまでよ…凄いだろ? オラちょっと尊敬しちまった」

悟空がべジータへの想いをここまでハッキリと吐露したのは、今までになかったように思えます。

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ブウ編終盤での、心の内で悟空を認めたべジータの姿と重なります。

お互い、それを本人に直接言わない辺りが良いライバルの距離感ですよね。



  • 「劇場版 神と神」  

「己の力のみ」で戦いたい気持ちが全面に表れていたと思います。

皆の力を借りることでしかビルスとまともに戦えないことに対する、自分への憤りを劇中で明かしていました。表情は不満気。

これは鍛練を積むことで己の成長を実感してきた悟空にとっては、ズルをしてしまったという罪悪感を抱いてしまった為です。

このようなわだかまりを残しながら戦いは進む。その最中「スーパーサイヤ人ゴッド」の効力は切れてしまう。だが、通常のサイヤ人に戻っても大してパワーダウンはしていない。

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更に終盤では「己の力のみ」で「スーパーサイヤ人ゴッド」の力を引き出せるようになる。

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本来望まない形での一時的なパワーアッブを遂げた悟空。しかし、類い稀なる才能や仲間の存在、そして「己の力のみ」で戦うことへの執着、これらが結果的に神の力を体得するまでに至った要因であったと思います。



  • 「DB超 神と神編」

TVシリーズでは、「己の限界」に挑み続ける悟空の気持ちが強調されていました。     


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第5話。

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第11話。

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第14話。

「何度 打ちのめされようと 熱く立ち上がれ」

劇場版の挿入歌FLOWの「HERO~希望の歌~」の歌詞の一部にあるように、とにかく何度も立ち上がる。上記で挙げた箇所以外にも倒れている場面はあります。それでも立ち上がる。

力の差を感じながらも、気持ちが折れない限り戦い続ける。この悟空の姿勢に、いつの時代であっても感動させられるのだと思います。


しかし力の差は埋められず…。力尽き意識を失う直前、悟空はビルスに

「人の限界を勝手に決めつけてるんじゃねえぞ……」

と言葉を残しました。これは悟空がビルスに一泡吹かせたかった思いから来ています。

ビルスは何度も

「…人違いだ…。探していたのは君じゃなかったようだ……」 第11話。

「……サイヤ人相手に全力を出す…そんな無様な姿をさらすくらいなら死んだ方がマシ…と今の今まで思っていた…」第13話。 

「おいおい、流石に限界なんじゃないのか」 第14話。

など、悟空の戦士としての限界を悟ったかのような発言を多用しています。第13話で多少考えを改めてはいるものの、それでもいずれ限度があると思っていることが第14話の発言で読み取れます。  

これらの「己の限界」を決め付けてくる発言は、「己の限界」に挑み続ける悟空にとって最大の屈辱であるように思えます。


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ブウ編終盤、べジータは悟空の分析を行い上記の結論に至っています。今までの悟空の行いを見れば、これは紛うこと無き事実です。  

劇場版での悟空は素直にまいったと降参していましたが、DB超ではとことん粘る。限界を決めつけてくるビルスに対して自分の可能性を示したかった、だからこそ悟空は敗れる間際にあのような言葉を残したのだと思います。



  • まとめ
「神と神」両作品では「孫悟空」のキャラクターを非常に明確に示していたと思います。
「戦いが大好きで やさしいサイヤ人

このことが良く伝わったと思います。

また、悟空の格好良さ。


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「破壊を楽しんでるんじゃねえぞおおー」

この場面は鳥肌が立つほど興奮しました。この場面が好きで、劇場へ2回足を運んだりブルーレイを購入しました。超カッコいいです。


月並みな言葉ですが、悟空は誰しもが憧れる本物のヒーローですね。