何が何やらワケワカメ

映像作品(主に特撮やアニメ、ホラー)について書く。

「復活のF」考察。フリーザ編を追体験する。


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【劇場版 ドラゴンボールZ 復活の「F」】

以前の記事では、本作品の「ベストな楽しみ方」を僭越ながら提案しました。今回は、ストーリーについての考察を述べます。


  • 戦闘一辺倒な内容、そのワケ。

「復活のF」は極端なまでに戦闘に重きを置いた物語でした。その理由は、相対す敵が"悪の帝王フリーザ"であるからに他ならない。「ドラゴンボールZ」においてフリーザは、激しい戦闘のイメージを象徴する一因なのです。

厳密には「フリーザ編」が、激闘を印象付けました。

と戦闘力のインフレが著しく、物語に緊迫感を与えた。それが魅力となり面白さに繋がっていました。それ故にフリーザを復活させる以上、「フリーザ編」の魅力を踏襲することにもなり激闘は免れられないのです。

また今作に関して、鳥山明さんの発言に以下のものがあります。
「…意識してアクションシーンを大幅に増やしています。…(中略)…ホントは派手なアクション物はあまり好きじゃないボクが言うんだからマチガイないっす!」映画宣伝チラシでの鳥山先生のコメント。一部抜粋。
前作「神と神」では戦闘シーンが少なかった。このことを踏まえて今回は視聴者や読者を意識し、戦闘シーンを大幅に増やす、といった先生なりのサービス精神も込められていたと思います。

鳥山先生自身はアクション物は好きではない、と公言されているのにも関わらずアクションに比重を置いた脚本を執筆された。それは、フリーザが作品にもたらした影響を的確に理解しているからこそ、ひたすらバトル!!、の内容となったのです。

  • フリーザ編」を疑似再現、セルフオマージュ。

戦闘主体の物語に立ち返っただけではなく、当時の雰囲気やシチュエーションを再現する試みが成されていました。

【悟天、トランクス、18号が戦わない】
これが一番分かりやすいですよね。チビっ子達は「魔人ブウ編」以降から活躍するキャラクター。「フリーザ編」時にはまだ生まれてもいない、よってフリーザとの接点がない。しかも、彼らはコミカルに戦闘をこなす。「フリーザ編」の雰囲気にそぐわないので、今回はお留守番することに。

18号さんも同様の理由です。「人造人間編」以降のキャラクターである為、戦闘には参加しなかった。

【戦場に赴くブルマ】

ブルマはフリーザとは初対面ですが、以前ナメック星でフリーザによる恐怖を間接的に味わっています。そして今回も、彼の脅威が感じられる近い位置にいる。
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【悟飯の存在感】
フリーザ編」の頃はまだ幼く戦士としては未熟だった悟飯。一矢報いることは出来ても、最終形態のフリーザの実力には遠く及ばなかった。

今回悟飯が「一発」でKOされたことは、フリーザに対して非力であった過去の状況を忠実に再現していました。瀕死の重傷➡仙豆による治癒も、当時のシチュエーションに近いものに。
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*また当時に立ち返りつつも、新たな変化も見られます。
 
フリーザ編」では、悟飯の窮地に一目散に駆けつけたピッコロ。
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一方「復活のF」では、シサミに苦戦するピッコロを助けるべく戦闘に介入した悟飯。
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互いの立場が逆転しています。これは、悟飯の成長や二人の信頼関係が不変であることを示した場面。
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出典:(http://subcuroute.blog.jp/archives/24131248.html)
更には、悟空とべジータの立場も逆転している。構図が酷似している理由は、当時アニメを熱心に観ていた視聴者へ向けた、東映アニメーションの遊び心なのかも。


  • まとめ。

絶大な人気を誇るフリーザを復活させるということで、当時の雰囲気に近づける試みが随所に見られました。「ゴールデンフリーザ」や「超サイヤ人ゴッドSS」への変身は、更なる次元のバトルを展開したあの頃の興奮を呼び覚ます要素の一つでもありました。

上記のことから、鳥山先生やアニメスタッフの誠意が非常に行き届いた作品になっていると言えます。

次回は個々のキャラクターに焦点を当てて、考察を述べたいと思います。